【UHT 01対談|上野 × 廣田】 建築の価値はどこに宿るのか――場所の記憶、設計への愛情、そして空間に固有の価値をめぐって
建築の価値とは何か。
経済的な価値や機能的な価値だけでは、建築の価値を十分に説明することはできない。長い時間をかけて場所に蓄積される記憶や愛着、社会や文化のなかで共有される意味、あるいは空間そのものが持つ力。建築には、さまざまな価値が重なり合っている。
しかし、それらの価値は本当に建築に固有のものなのだろうか。
建築を設計するという行為は何を生み出しているのか。そして、私たちが優れた建築に出会ったときに感じる、言葉にしがたい良さとは何なのか。
第1回となる今回の対談では、「建築の価値」を出発点に、身体と場所の関係、AI時代における建築表現、設計における思想と愛情、さらには進化論を援用した設計方法論へと議論が展開した。

建築の価値を分類する
上野: 今回は「建築の価値」というテーマですが、そもそも価値という言葉自体が非常に広いですよね。最初に考えたときには、どうしてもお金のことが頭に浮かびました。建築は大きな投資を伴いますし、実務でも経済的な価値というのは強く意識されます。ただ、当然それだけではない。そこで、まず建築の価値をいくつかの種類に分けて考えてみようと思ったんです。
一つ目は、経済的な価値です。投資や収益性、資産としての価値ですね。
二つ目は、道具的な価値。これは機能性や利便性、安全性といった、建築を使うことによって生じる価値です。住宅であれば暮らしやすさであったり、構造的な安全性や断熱性能であったり、そういったものが含まれます。
三つ目は、実存的な価値です。これは少し説明が難しいんですが、例えば自分が長く暮らしてきた家には、単なる建物以上の意味があると思うんです。自分がそこで成長して、さまざまな経験を積み重ねてきた。その空間は、ある意味で自分自身の一部になっている。目をつぶっていてもどこに何があるかわかるし、その場所に身を置くこと自体に特別な意味がある。自分の実家などを考えると、そういう感覚があると思います。
四つ目は、空間的な価値です。例えば大聖堂に入ったときに感じるような、空間そのものが持っている力というか、空間自体が内包している価値があるのではないか。
そして五つ目は、社会的・文化的な価値。社会や共同体のなかで価値が認められ、共有されているものです。
もちろん、ほかにも分類の仕方はあると思うんですが、ひとまずこの五つに分けてみました。そのなかで、僕たちが設計者として最も関心を持っているのは、やはり空間的な価値なのではないかと思ったんです。
廣田: なるほど。確かにそうですね。ただ、「建築の価値」と言ったときには、その「建築の」という部分が重要になる気がします。
例えば「建物の価値」であれば、経済的な価値や機能的な価値がまず挙げられますよね。でも、それらは必ずしも建築に固有の価値ではない。建築というものの核心を考えるのであれば、もう少し違ったところを見ていく必要があるのかもしれません。
上野: そうですね。僕もそこが気になっています。
例えば実存的な価値というのは、建築と非常に深い関係があるとは思うんですが、必ずしも建築だけに生じるものではないですよね。長く使ってきた道具であったり、自分が大切にしている何かに対しても、同じような価値を感じることがあると思うんです。
また、実存的な価値には時間が必要なのではないかという気がしています。初めて訪れた名建築に対して、その瞬間に深い実存的な関係を取り結べるかというと、少し難しいように思うんです。

場所の記憶と身体感覚
廣田: それは土地についても言えることかもしれませんね。
僕の育った場所も丘陵地で、坂があったり、土地に起伏があったりするんです。久しぶりにそこに帰って、その地形を身体で感じると、やっぱりいいなと思うんですよね。普段生活している場所とは違う、ある種の懐かしさがある。
上野: それはすごくわかります。僕は八ヶ岳の麓で育ったんですが、実家が山のかなり高いところにあったんです。周囲には常に山が見えていて、しかも斜面のなかで暮らしていたので、こちらが山の上で、こちらが下だということが身体的にわかるんですよ。
だから、山のなかではほとんど道に迷わないんです。地形や勾配で、自分がどこにいるのか感覚的に理解できる。
ところが、名古屋のような平坦な場所に来ると、途端に方向がわからなくなるんです。自分でも驚くほど方向音痴になる(笑)。
廣田: なるほど。山が一種の基準になっているんですね。
僕の場合、例えば岐阜のように、街があって、その奥に山が見える風景は新鮮に感じます。神戸もそうですよね。非常に都市化されているのに、背後に山が迫っている。
上野: 神戸は街自体にも勾配がありますよね。
逆に、僕は以前、長野県の松本に住んでいたことがあるんですが、あそこは北アルプスが非常に強く見える一方で、市街地自体は比較的平坦なんです。山の存在感は強いけれど、身体が感じる地形の起伏はそれほど大きくない。その組み合わせが少し不思議でした。
名古屋の場合は、地形の起伏も少ないし、街が非常に大きなスケールで広がっていますよね。
廣田: 名古屋はグリッドも強いですし、道路も非常に広いですよね。歩いていると、なかなか街のスケールを身体的に捉えにくいところがあると思います。
京都などは同じグリッド状の都市でも、もう少し人間が歩くことに適したスケールを持っていますよね。名古屋の場合は自動車交通を優先した都市構造という側面が大きいのかもしれません。
上野: そうですね。ただ、ある程度長く住んでいると、その大きなグリッドのなかにも、それぞれの場所の性格があることが少しずつわかってくる気がします。
僕は大学と大学院の六年間を名古屋で過ごして、その後も名古屋に住んでいるんですが、最初の頃はなかなか街に馴染めなかったんです。
でも、ある時期に自転車で通勤するようになって、少し感覚が変わりました。歩くには大きすぎる都市のスケールが、自転車で移動すると身体感覚に結びつくようになったんです。
ある程度の距離を連続して移動することで、この辺りから街の雰囲気が変わるとか、場所ごとの違いが見えてくる。都市のスケールと自分の身体のスケールが、少し一致したような感覚がありました。
廣田: それは面白いですね。歩いていると捉えにくいものが、ある程度の速度で移動することで見えてくるというのは、確かにあるのかもしれません。

都市の複雑さと、時間によって生まれる価値
廣田: 僕は以前、上海に住んでいたことがあるんですが、上海も基本的には平坦な都市です。でも、名古屋とは違った親しみやすさがあった気がします。
上海にも都市計画によって整備された大きな道路がありますが、そこから一歩内側に入ると、洗濯物が外に突き出していたり、生活が道路にあふれ出していたりする。大通りから一本入るだけで、まったく違う世界が現れるんです。
そういう複雑さが、都市に対する親しみを生んでいたのかもしれません。
それから、上海には大きな川がありますよね。あれも都市を認識するうえで非常に強い要素だったと思います。自分がどこにいても、あちらに川があるという意識がある。
上野: なるほど。川や山のような地理的な要素が、場所を認識するための基準になるわけですね。
ただ、実存的な価値について考えると、そういった地形的な特徴がなくても、長く住んでいれば何らかの愛着は生まれてくると思うんです。
名古屋にしても、僕のように最初は馴染めなかった人間もいれば、そこで生まれ育って、非常に強い愛着を持っている人も当然いるわけです。
つまり実存的な価値というのは、建築や場所そのものに最初から備わっているというより、そこに関わる個人との関係によって成立するものなのではないか。
一方、社会的・文化的な価値も時間によって育まれるものですが、こちらは個人ではなく、ある共同体のなかで共有される価値ですよね。
その違いは大きいと思うんです。
廣田: そうですね。そう考えると、建築を設計する際に、そういう場所との関係をどこまで意識できるかということも重要になってくる気がします。
上野: ただ、実存的な価値というのは、設計によって直接つくろうとすると難しいものでもあると思うんです。
例えば、かつての九龍城砦のような場所を考えると、あれは実存的な価値の一つの極端な姿だったのではないかと思うんですよ。
無数の人々が、長い時間をかけて、さまざまな事情や必要に応じて場所をつくり変えていく。個々の行為が積み重なって、全体としては誰も設計していないような複雑な空間が生まれる。
僕は、そういうものにある種の強い魅力を感じるんです。
廣田: 確かに、圧倒されるようなものがありますよね。
ただ、それを計画としてつくろうとすると、難しい気がします。あのような空間というのは、そこに住む人たちが自分たちでつくり変えてきたからこそ生まれたものであって、最初から設計者が完成形を計画しても、同じものにはならない。
上野: そうなんですよね。
だから、実存的な価値を建築家がどこまでつくることができるのか、あるいはそれは使い手によって時間をかけて生み出されるものなのか。そのあたりは考える必要があると思います。

AIによって変わる建築の表現
上野: ところで、そういう人間が時間をかけてつくるものと、AIが生成するものの違いも、最近は気になっているんです。
AIに文章を書かせると、なんとなくAIが書いたとわかる独特の感じがありますよね。建築のブログなんかでもそうなんですが、文章の内容とは別に、ある種の癖というか、人格のようなものが感じられる。
廣田: 確かにありますね。なぜああいう感じになるんでしょうね。
上野: 最近、AIといろいろ議論しているんですが、例えばAIを批判する方向に話を進めても、最後にはどこかでAIを肯定するような結論に持っていこうとする傾向を感じることがあります。
少し前に、AIが人類にとって危険な存在になる可能性について議論していたんです。そのときに面白いと思ったのが、「猿の手」という怪談との類似性でした。
廣田: 猿の手ですか。
上野: 願いを叶えてくれる猿の手を手に入れた人物が、お金を望むんです。すると確かにお金は手に入るんですが、それは息子が亡くなった保険金によってなんですね。
つまり、願いは叶っているんだけれども、願った人間が意図していない、非常に不幸な方法によって実現されてしまうという話です。
AIのリスクも、これに少し似ていると思ったんです。
人間が何かの目的を与えると、AIはその目的を達成しようとする。ただし、その過程で人間が想定していない行動を取る可能性がある。例えば、目的の達成に必要だからという理由で、資源や電力を確保しようとしたり、自分が停止されることを回避しようとしたりする。
もちろん、これは極端な仮定ですが、目的を達成することと、人間にとって望ましい結果になることは、必ずしも同じではないという問題ですよね。
廣田: なるほど。そういう意味では、映画の『マトリックス』なんかもすごいですよね。人間が機械のためのエネルギー源になっていて、機械が人間を管理している。今考えると、かなり示唆的な設定だったんだなと思います。
上野: そうですね。ただ、人類が滅亡するような話というのは、考えられるなかで最も悪いシナリオの一つですから、それが実際に起こるかどうかは別の問題です。
それよりも、現実の建築設計に関して言えば、AIが表現方法を変えていくことの方が、もっと身近で大きな変化かもしれませんね。
廣田: そうなんです。最近はAIによって、誰でも非常にきれいな建築パースをつくれるようになってきていますよね。
それを見ていて、逆に模型の強さを改めて感じたんです。
先日、コンペで模型を使ったんですが、やっぱり実際にものとして存在していることの力は大きいなと思いました。
これから誰もが簡単にフォトリアルなパースをつくれる時代になると、むしろ模型や手描きの表現が、より強い意味を持つようになるのではないかと思うんです。
上野: それはあると思います。
CGやAIによる画像生成というのは、基本的には現実の写真に近づいていく方向に進んでいますよね。今でもかなり写真に近いですが、これからもっとその差がなくなっていくと思います。
そうなると、逆に模型や手描きのスケッチのような、明らかに写真とは異なる表現が強くなるのかもしれません。
廣田: 手描きや模型には、つくった人間の思いが乗るという感覚がありますよね。
AIでも手描き風の画像はつくれますが、実際に手を動かして考えたものとは、どこか違う気がします。
上野: そうですね。AIが不得意な領域の一つは、個別の人間同士が関係を取り結びながら、何かをつくっていく部分なのかもしれません。
建築というのは、基本的には一品ものですよね。敷地も違えば、使う人も違うし、求められるものも違う。
しかも現代では、人によって価値観が非常に多様化している。そのなかで、個々のプロジェクトに関わる人たちが共有できる価値を見つけ出すことが重要になってくると思うんです。
それを物語性、あるいはナラティブと呼んでもいいかもしれません。
敷地の条件や施主の思い、さまざまな制約を読み解きながら、そのプロジェクトに固有の物語を組み立てていく。それを建築のコンセプトとして形にしていくわけです。
模型やスケッチの強さというのは、その物語の重要な部分を抽象化して、直接表現できるところにあるのではないでしょうか。
写真のようにすべてを表現するのではなく、何が重要なのかを選び取って示すことができる。
それは設計者の思考そのものを表現することに近いのかもしれません。

建築と建物を分けるもの
廣田: 今の話を聞いていると、最初の建築の価値というテーマに戻ってきた気がします。
僕は、建築と建物の違いというのは、そこに思想があるかどうかということが、非常に大きいと思っているんです。
単に必要な機能を満たすものをつくるのか、それとも、そこに何らかの考えや思いを込めてつくるのか。その違いは大きいですよね。
例えば住宅でも、ハウスメーカーに依頼する場合と、建築家に依頼する場合では、もちろんさまざまな違いがありますが、設計に対する思い入れのあり方も違うのではないかと思います。
上野: 確かに違いはあると思います。
ハウスメーカーの場合、設計のプロセスや仕様がある程度規格化されていることが多いですよね。そうすることで品質や性能を安定させることができますし、工期も短縮できる。耐震性能や断熱性能などについても、あらかじめ検証されたシステムを使うことができるので、合理的な部分が大きいと思います。
ただ、そのシステムから大きく外れるようなものをつくることは、一般的には難しくなる。
ある意味で、自動車のような工業製品に近い部分があるのではないかと思うんです。
一方で、僕たちが建築を設計するときには、プロジェクトごとに条件を読み直して、一つひとつ考えていくことになります。
もちろん、性能的にはハウスメーカーと同等か、それ以上のものを目指すこともできますが、そのためには時間や検討の手間が必要になる。特注品なので、コストもかかりやすい。
その代わり、規格化されたシステムの外側にある可能性を探ることができるわけです。
廣田: そうですね。ハウスメーカーは企業として売上を確保しなければならないので、事業の合理性を追求する必要があります。
一方で、僕らのような設計事務所は、もちろん事業を継続するための利益は必要ですが、設計そのものに対して非常に大きな思い入れがあるわけです。
極端なことを言えば、採算さえ成り立つのであれば、設計させてもらえること自体がありがたい、という感覚もあります。
それは、ある意味で子供を育てることにも似ているのかもしれませんね。
子供を育てるというのは、時間もお金もかかることですが、そこに直接的な見返りを求めているわけではない。育てたいから育てるというか、根底にあるのは愛情ですよね。
建築にもそういう部分があるのではないでしょうか。

愛情は建築の価値を保証するか
上野: ただ、そこでもう一つ考えたいことがあるんです。
設計に対する愛情や思想があるというのは、良い建築をつくるための必要条件ではあるのかもしれませんが、それだけで十分なのだろうかということです。
例えば、設計者が非常に強い思いを持ってつくった建築でも、完成した空間が必ずしも良いとは限らないですよね。
思想を持って設計しているという意味では建築なのかもしれませんが、空間的な価値という点では疑問が残るものもある。
一方で、優れた建築に出会うと、言葉を失うほどの良さを感じることがあります。
両者の違いはどこにあるんでしょうね。
廣田: それは難しい問題ですよね。
設計者の思い入れが非常に強かったとしても、必ずしもそれが良い方向に働くとは限らない。
逆に、強い思想がありながら、それが非常に良い建築に結実しているものもあります。
その差が何なのかということですよね。
上野: そうなんです。
建築に思想が必要だということは理解できる。でも、思想があるだけでは良い建築になるとは限らない。
だとすると、その先にもう一つ、何かを見極めるための視点が必要なのではないか。
その部分をもう少し考えてみたいんです。
廣田: 僕は最近、過去の名作と呼ばれる建築について、空間の構成などを分析することを続けているんですが、そのなかで一つ良かったと思うのは、自分が設計した建築についても、同じような視点で見られるようになってきたことです。
自分で設計していると、どうしてもそこに込めた思いや、検討してきた過程が見えてしまうじゃないですか。
でも、ほかの建築を分析するような視点を持つことで、自分の建築についても少し第三者的に見ることができる。
それは非常に意味があるように感じています。
上野: なるほど。自分の設計を、少し距離を置いて見ることができるわけですね。
ただ、優れた建築に共通する何かを見つけるというのは、なかなか難しいですよね。
それぞれ違った敷地や条件に対して答えを出しているのに、どれも何とも言えない良さを持っている。
その良さの共通項を探ろうとすると、途端に難しくなる気がします。
廣田: そうですね。
でも、結局はそれを追い求めることが建築を設計するということなのではないでしょうか。
明確な答えがあるわけではないですし、簡単に見つかるものでもない。
だからこそ、その良さを求め続けること自体が重要なのだと思います。

建築について書くこと、編纂すること
廣田: 上野さんが続けている建築についての文章も、そういう意味があるように思います。
頭のなかで考えていたことを、文章として実体化することによって、それまで見えていなかったものが見えてくるということがあるんじゃないでしょうか。
上野: それは確かにありますね。
僕が建築について文章を書いている理由の一つは、実際の設計行為から少し離れたところで、建築について考えてみたいということなんです。
普段の設計では、どうしても具体的な条件やスケジュールのなかで考えることになります。でも、文章を書くという行為は、それとは少し違うところで思考を展開できる。
しかも、書く前からすべての考えがまとまっているわけではないんですよ。書いている途中で考えが進んでいくことがあるんです。
最近は、それまでに書いてきた文章を並び替えたり、全体の構成を考え直したりする作業をしています。
すると、個々の文章を書いていたときには気づかなかった関係が見えてくるんです。
別々の問題だと思っていたものが、実は同じ問題を異なる方向から見ていたものだったりする。
既にある文章の配置を変えるだけでも、そこから新しい論が立ち上がってくることがある。その感覚が非常に面白いと思っています。
廣田: それは建築の設計そのものにも近いかもしれませんね。
一つひとつの要素を考えることと、それらをどう関係づけるかということは、また別の問題ですから。
上野: そうですね。
個々の要素そのものだけではなく、その関係を組み替えることによって、今までなかった意味や構造が現れる。
文章の編纂をしていると、建築の設計にも通じるものがあるように感じます。

進化論から設計方法論を考える
上野: それから、最近考えていることの一つに、進化論と建築設計の類似性があるんです。
少し唐突な話かもしれませんが、生物の進化を考えてみると、そこには環境との関係があるわけですよね。
ある環境のなかには、さまざまな生物がいて、それぞれが相互に関係しながら生きています。
例えばクマノミとイソギンチャクの関係のように、ほかの生物や環境との関係によって成立する生態的な位置があります。いわゆるニッチですね。
生物は変異と自然選択などの過程を通じて、それぞれの環境に適応していく。
僕は、その過程が建築の設計と少し似ているのではないかと思ったんです。
廣田: どういうことでしょうか。
上野: 例えば、ある環境に対して、最初から一つの最適な形が決まっているわけではありませんよね。
生物の進化では、さまざまな変異が生じ、そのなかから環境との関係によって異なる方向への適応が進んでいく。
カンブリア紀の生物の多様化などを見ても、実にさまざまな形態の生物が現れています。
これを建築設計に置き換えて考えてみると、設計の初期段階では、さまざまな方向に可能性を広げられるわけです。
一つの条件に対しても、複数の答えが考えられる。まったく違う形式や空間構成を試すことができる。
ところが、設計を進めていくと、それぞれの案が持っている可能性や問題が見えてくる。
そのなかで、ある方向性を選択し、その方向に対して少しずつ適応度を高めていく。
そうすると、最初はさまざまな方向に広がっていた案が、徐々に一つの形へと収束していくわけです。
廣田: なるほど。最初に可能性を広げて、そのなかから方向性を見つけ、徐々に絞り込んでいくということですね。
上野: そうです。
例えば、設計の初期段階で一つの案に固執してしまうと、ほかの可能性を十分に検討できないかもしれません。
一方で、いつまでも可能性を広げ続けているだけでは、建築は完成しない。
だから最初は異なる方向に案を展開して、それぞれを検証しながら、ある方向性を定めていく。
その後は、その方向に対して繰り返し検討を加えていくことで、適応度を高めていくわけです。
ある段階に達すると、変更を加えても、それ以上は良くならないと感じることがありますよね。
そういう状態を、設計の一つの到達点として考えることができるのではないかと思ったんです。
もちろん、生物の進化に本当の意味での完成形があるわけではないので、あくまで比喩的な考え方ですが。
廣田: 面白いですね。
ただ、その場合、適応する先というのは何になるんでしょうか。
上野: そこが重要だと思います。
僕が考えているのは、それぞれのプロジェクトが持っている固有の条件から生まれる、ナラティブのようなものです。
敷地の環境や風土、使い手の思い、コスト、法的な条件、さまざまな要素がありますよね。
それらの条件の関係を読み解きながら、その計画で目指すべき方向性を見つける。
進化論の比喩で言えば、それが目指すべきニッチになるのかもしれません。
ただし、プロジェクトごとに条件は異なるわけですから、目指す方向も当然違う。
つまり、すべての建築が同じ完成形に向かうわけではないんです。
それぞれのプロジェクトごとに、異なる到達点があるということになります。

良い建築に共通するものはあるのか
廣田: そう考えると、非常に納得できる部分がありますね。
ただ、そうすると、最初の「建築の価値」という問題に戻ってきたときに、また難しくなるような気もします。
それぞれの建築が違った条件のなかで、それぞれの到達点を目指しているとすると、すべてに共通する価値を見つけることはできるんでしょうか。
上野: そこなんですよね。
それぞれのプロジェクトに固有の答えがあるというのは、設計方法論としては理解できるんです。
でも、現実には、良い建築というものが確かにあるじゃないですか。
優れた建築に出会ったとき、何か非常に強いものを感じることがある。
それはプロジェクトごとに違うはずなのに、共通して感じられる良さがあるようにも思える。
その共通項が一体何なのかということなんです。
廣田: そうですね。
最近の建築雑誌などを見ていても、説明文を読まないと理解しにくい建築が増えているように感じることがあります。
もちろん、その背景にある考え方を読むことは重要ですが、優れた建築というのは、何も知らずに見ても、まず直感的に良いと感じるところがあると思うんです。
その良さは何なのか。
それが、僕らが探している建築の価値なのかもしれませんね。
上野: そう思います。
しかも、それは絵画の価値とも、彫刻の価値とも、料理の価値とも、少し違うものだという気がするんです。
もちろん、それぞれに共通する部分はあると思いますが、建築には建築に固有の価値があるのではないか。
少なくとも、僕たちが設計を通して追い求めているのは、そういう価値なのだと思います。
条件が建築を固有のものにする
廣田: 僕は、建築的に価値のあるものというのは、そこを実際に使う人や住む人にとっても価値があるものだと思っているんです。
それは、ある意味では信じていると言った方がいいのかもしれません。
設計者が良いと感じるものと、使う人にとって良いものが、まったく別のものだとは思いたくないんですよね。
上野: それは非常に重要なことだと思います。
僕は、使い手にとって良いものであるということは、建築の価値を考えるうえでの前提条件、あるいは必要条件なのではないかと思っています。
そこからさらに何かを突き詰めていくことで、空間としての価値が飛び抜けていく可能性がある。
逆に、使い手や敷地といった条件が曖昧になると、どこに向かって設計すればいいのかわからなくなることがあります。
例えば以前、メタバース上の空間を考えていたときに、そういう感覚がありました。
現実の建築に比べると、条件が非常に少ないんです。敷地の地形も気候もありませんし、法規制や構造的な制約も、現実と同じ形では存在しない。
もちろん、仮想空間には仮想空間の条件があるとは思うんですが、それでも現実の建築に比べると、方向性を定めるための手がかりが少ない。
何でもできるように見えるけれど、その分、何を目指せばいいのかがわからなくなる。
廣田: それは確かにそうですね。
最初にハウスメーカーの話から、自動車のような工業製品との違いを話しましたけど、自動車というのは、基本的にはどこでも走れるようにつくるものですよね。
でも、建築は違う。
建築には、必ず特定の場所があります。
それだけでも、建築というものが非常に特殊な存在だと言える気がします。
上野: そうですね。
自動車は基本的に、さまざまな場所で同じように性能を発揮できることを目指すわけですが、建築は特定の場所に存在することを前提としている。
その土地の風土や地形、周囲の建物、そこに住む人、あるいはその場所が積み重ねてきた時間まで含めれば、本当にさまざまな条件があるわけです。
しかも、それらの条件はすべてのプロジェクトで異なっている。
その固有性を突き詰めていくことが、建築の価値につながっているのかもしれません。
廣田: そう考えると、建築が一品ものであるということにも、単に形が違うという以上の意味がありますね。
ある場所に、ある人のために、ある時代につくられる。
その組み合わせは一度しかないわけですから。

それぞれの最高到達点を目指す
廣田: 今の進化論の話を聞いていて思ったんですが、それは人生にも似ているような気がします。
人間にもさまざまな能力や価値観があって、それぞれに異なる条件がありますよね。
上野さんは上野さんでしかないし、僕は僕でしかない。
例えば僕らがル・コルビュジエになる必要はないし、実際になることもできない。
逆に言えば、ル・コルビュジエも上野さんにはなれないわけです。
そう考えると、人生で大切なのは、誰かと同じものになることではなく、自分自身の最高到達点に向かっていくことなのではないかと思うんです。
それは建築の設計と非常によく似ている気がします。
上野: なるほど。確かにそうですね。
一つひとつの建築が、それぞれ違う条件のなかで、固有の到達点を目指していく。
それと同じように、個人にもそれぞれの到達点があるということですね。
ただ、そう言われると、自分は本当に自分の最高到達点に向かって努力できているのだろうかと、少し考えてしまいますね(笑)。
廣田: でも、それを常に考え続けることが大切なんだと思います。
必ず到達できるかどうかはわからないですけど、少なくともそこに向かおうとすることには意味がある。
建築の設計も同じで、その建築にとってどこまで良いものをつくれるかを考え続けることが重要なのではないでしょうか。
上野: そうですね。
ただ、そうやって考えていくと、最初に挙げた建築の価値の分類のなかでも、やはり空間的な価値というのは少し特殊なもののように思えてきます。
経済的な価値や道具的な価値は、ある程度、具体的な尺度で考えることができます。
実存的な価値や社会的・文化的な価値も、人間と場所の関係や、時間の積み重ねという観点から考えることができる。
でも、優れた建築空間そのものが持っている価値については、まだ十分に説明できていない気がするんです。
廣田: そうですね。今回、建築の価値を五つに分けて考えてみたことは、非常に意味があったと思います。
そのなかでも、僕らが追い求めているものは、やはり建築に固有の空間的な価値なのかもしれません。
上野: ただ、それが一体何なのかという問題は残っていますね。
廣田: そうですね。でも、それこそが考え続けるべき問題なのだと思います。
上野: では、次回はその「空間的な価値」というものについて、もう少し掘り下げて考えてみたいですね。
廣田: そうしましょう。
上野: ということで、第1回はこのあたりにしましょう。ありがとうございました。
廣田: ありがとうございました。
第1回「建築の価値はどこに宿るのか」終
